
過去のブログの記事を再掲します☆
昨年から、夢日記をつけ始めました。
私は、毎日カラーで夢を見ます。
3本立てや4本立てで、どんどん場面が変わって行きます。
朝、目覚めてすぐに書きとめないと、記憶がサラサラとこぼれて消えていきます。
面白いくらいにまっさらに忘れてしまう日もあり、毎日は書きとめられません。
今年の1月1日の夢は「事故を目撃する」と「地震」でした。
坂内慶子さんの著書「夢は神様からの最高のシグナル」によりますと。
事件・事故の夢
自己主張できない自分への焦りや権威への反発。
夢と現実のギャップに対する怒りが原因で見る夢。
生活全体を見直し、焦りや恐れの原因を直視できるまで立ち止まる必要がある。
事故車を夢に見た場合、身体への忠告の場合も。
地震の夢
生活に突然の変化が起き、あなたの信念や主義・主張、これまでの生き方が、この先役に立たなくなる。
それらを潔く手放して一から出直す時がきた。
大きな変化なので一時生活が脅かされる感じを味わうでしょうが、変化の後はストレスが減り、より創造的な日常がおくれる。
手放さなければならない信念や信条は何かを考える。
なんだか、とても大きな切り替えの時期なのだということはわかりました。
今月よく見ている夢は、「学校」「小銭」。
学校の夢
あなたは地球学校だけではなく宇宙学校の生徒でもある。
夜は夢の世界で宇宙学校の授業を受け、目覚めると地球学校へ戻って実地試験を受ける。
夢に学校が登場したのは、この世は学びの場であると納得できず、直面している問題に嫌気がさしているか、自信を無くしているか。
そんなに深刻にならなくて良いと注意している。
気楽にチャレンジしよう。
コイン、小銭
日常的な小さな決意を表す。
コインを夢に見るときはエネルギー不足。
変化を起こそうとする前に、リラックスして状況を観察しよう。
そして、特に印象的な二つの夢があります。
一つめは、友だちが運転する軽自動車の助手席にのっている夢。
彼女は、私が通れないだろうと思うところを、スイスイ運転して行きます。
そして、車は大きなガラス扉に向かって走って行き。
私は身体を固くして身構えましたが、車はスッとガラスを通り抜けました。
何枚も何枚も、緊張してガチガチになりながらガラスを通り抜け。
最後は机を飛び越えて階段を登って、外へ出るところで目が覚めました。
二つめも車の夢。
私は、車を運転していて、ある場所に到着します。
さあ、車を運転して帰ろうと思ったら、その車には亡くなった祖父が乗っています。
残されていたのは、祖父のものと思われる、大きくて新しい真っ白なワゴン車。
こんなに大きな車は運転できない、と訴えますが、祖父を乗せた車は走り出し。
私は、これからどうしよう、と悩んでいるところで目が覚めました。
自動車。
二つの間のバランス、大抵は心と身体のバランスを図ることを意味する。社会性。
快適に運転できているなら、問題なく社会生活ができている。
車の状態は健康状態を表すことがある。
運転。
自分でハンドルを握っているなら、自分の責任で人生を生きている。
他人の自動車を運転しているときは、その人の長所を真似てみてはいかが。
その人の生き方はあなたのちょっとした問題を解決してくれる。
他人の運転する車に乗っているときは要注意。
その人に人生を牛耳られていないか、その人の意向に添って生きていないか内省する。
その人の知恵や経験に助けられていると合点がいくなら、しばらくは助けを借りる。
ガラス。
目に見えない障壁。プライド。自分が傷つけられる不安。
祖父母。
すでに亡くなっている祖父母が夢に登場したら、彼らが伝えたがっている内容を素直に受け取ってみる。
異次元通信となるので、死者にとっては大変な努力で夢に現れたのかもしれない。
死者に感謝して、こちらのことを心配しないでよいと伝えて。
大抵、子孫の無事を願って登場する。
以上をふまえて。
一つめの夢は、私が無理だと決めつけていることも、やってみたらできるかもしれない、というメッセージかなと。
プライドを手放して、人から傷つけられることを恐れずに、彼女の運転のように進め!と言われているように感じました。
二つめの夢は、祖父のように生きることを進められているのかな、と。
そして、祖父もそれを応援してくれている、と感じました。
大きな車に乗り換える、エネルギーが大きく変わる時期なのかもしれませんね。
それを受け入れていこうと思いました。
やはり夢も、身体を大切に、と言っているように感じます。
身体は神殿。
取り入れるものに注意して、運動と休息のバランスを取って。
これまで以上に身体を大事にしようと思います。
2017年1月19日
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